【読書記録】鹿の王 上橋 菜穂子 (角川文庫)

   

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鹿の王 読書記録

作品あらすじ

強大な帝国・東乎瑠(ツオル)から故郷を守るため、死兵の役目を引き受けた戦士団“独角(どつかく)”。妻と子を病で失い絶望の底にあったヴァンはその頭として戦うが、奴隷に落とされ岩塩鉱に囚われていた。ある夜、不気味な犬の群れが岩塩鉱を襲い、謎の病が発生。生き延びたヴァンは、同じく病から逃れた幼子にユナと名前を付けて育てるが!? たったふたりだけ生き残った父と子が、未曾有の危機に立ち向かう! Amazon商品ページより引用

読書感想

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1ヵ月前に"Kindle Paperwhite"を買いました。アマゾンプライムデーの時に00円OFF(41%オフ)で激安になってたので購入しましたが、結論:"最高"だった事をお知らせします。

上橋菜穂子先生の作品の中で私が初めて読んだのは『獣の奏者』だった。物語の完成度はさることながら、先生の文章に触れたとき、なんて美しい言葉を紡がれるのか…と感動した。

先生の描く、ヒト、獣、自然はいつも生命力に満ち満ちている。そこが好きだ。

今回読んだ『鹿の王』も、期待以上に美しく、そして面白かった。

大鹿の牡が二頭、向かい合っている。堂々たる壮年の牡だ。見事に張った平たい角を低く構え、息で相手を威嚇している。その向こうに、やや細身の鹿がいる。牝の飛鹿だ。

(中略)

地響きがし、角と角がぶつかりあう音が、コーン、と鳴り響いた。繰り返し角をぶつけ、巨体で押しあう。

自分の命を伝える──ただそのために、巨大な牡たちが、渾身の力を振り絞ってぶつかりあっている。
─ 鹿の王 第一章 恋の儀式より引用

実は私、作品タイトルからのイメージで『迷い込んだ森の中で伝説の”鹿の王”と心を通わせた主人公がなんやかんやあって奪われた故郷を取り戻す話』みたいなものを勝手に想像していた。

全然違った(笑)

いきなり鹿の登場シーンを引用しちゃったけど、実をいうと作中で鹿の登場シーンはあまり多くを占めていない。けれども、寄り添うように、物語のエッセンス的に描写される美しい生命の営みは物語の魅力に重要なファクターをもたらしている。

なぜ、上橋先生がタイトルに『鹿の王』を選んだのかは、物語の終盤で明らかになる。読む前と読んだ後では、タイトルから感じる印象が見事に変わるので、楽しみに読み進めて欲しい。

以下「あぁー、好きだなぁー、この表現」と私が特に感じた作中の自然描写を紹介したい。

うすい鈍色の空の下に、冬枯れの野が広がっている。
寂しい風景だったが、それでも、ときおり、枯野に点在する沼に白い鳥たちが舞い降りると、つかのま、命のさざめきが生まれた。
─ 鹿の王 第二章 冬枯れの移住地より引用

『命のさざめき』という表現の仕方は、特にシビれた。

以前<削る力>の大切さを説いた本を読んだことがある。見えるもの、聞こえるものすべてを正確に描写してしまうと、その文は味気ないものになってしまう。一流の書き手は<読み手の想像力に委ねる>ことができる人のことだという。上橋先生の文章がまさにそれだと思った。

鳥の羽ばたく音、鳴き声、水のたゆたう音、描写はないのに、私には聴こえてきた。

そして登場人物たちも本当に魅力的だった。

特に、ヴァン
死に場所を求める者たちが集まった戦士団”独角(どっかく)”で唯一生き残ってしまった頭。
本作の主人公。これまでの生い立ちからどこか陰を纏っていて、口数少なく一見近寄りがたいけど不器用な優しさがあって、身体的な強さと芯の強さを合わせ持っていて、でも時折見せる弱さが…って女性なら好きにいられずにはいられない感じの男性だと思う。

「おれは兵の命を我が物のように扱う奴が、反吐がでるほど嫌いだ。殺すなら、まず将から殺す」

(中略)

「この世で再び、あの子を腕に抱けぬなら、その鬱憤を晴らして死ぬまでだ。……どうせ、拾った命。おまえらを殺して、先にあの世に行った仲間への土産話にしてやろうさ」
─ 鹿の王 第三章 オーファンより引用

愛おしさの中にも、怒りの中にも、いつもどこか哀愁漂うヴァンの纏う雰囲気を好きにならずにいられない。

ヴァンが出会うユナ、トマ達、そして、サエ。その出会いを経て導き出した、ヴァンの最後の選択には誰もが熱く心を打たれ、涙したんじゃないかと思う。

もう一人の主人公、オタワル天才医術師のホッサル視点で進行する病との闘いも熱い。

「生き物はみな、病の種を身に潜ませて生きている。身に抱いているそいつに負けなければ生きていられるが、負ければ死ぬ」
─ 鹿の王 <光る葉>の卵より引用

『鹿の王』では恐ろしい伝染病を巡り、オタワル医術、清心教医術の2つの見方がでてくる。乱暴に分類すれば、命を救うことに重きを置く現代的なオタワル医術と、魂を救うことに重きを置くある種宗教的な側面を持つ清心教医術は、根本から異なっている。

救える命を見捨てるのか。

そう問いかけたホッサルに、清心教の祭司医は「救いたいのは命ではない」と答える。

「命あるものはみな、いずれ必ず死にまする。大切なのは、与えられた命をいかに生きるかであって、長短ではござりませぬ。穢れた身で長らえるより、清らかな生を心安らかに全うできるよう、私共祭司医は微力を尽くしているのでござりまする」
─ 鹿の王 第二章 ふたつの医術より引用

現代医療の元で生きる私としては、ホッサル同様、清心教の考えを受け入れることは難しい。きっと、助けられるのに!とヤキモキしてしまう。それでも、命を救うことだけが”救い”ではないという見方には考えさせられるものがあるのも事実だ。

例えば、安楽死。

2001年4月10日。オランダ議会において62%の賛成で、世界初の合法安楽死の法律が制定されて久しい。

「生きたい意思」を失ってしまった人を生かし続けることは、はたして正しいのか。本人の意思を無視して生かし続けることは、傲慢とも言えるのではないのか…。答えの出ない問答をついつい考えてしまう。

ホッサルの医術者としての葛藤、医療のあり方、あるべき姿、医療の限界…。

『鹿の王』では難しい医療の話も分かりやすく説明されていて、元々、児童書ということもあり知識が0でも理解できるようになっている。

新型コロナウイルスに揺れる2020年においても、考えさせられることは多い。

『鹿の王』が、私の中で何度も読み返したい大切な本となることは間違いない。

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著者情報

上橋 菜穂子

作家、川村学園女子大学特任教授。1989年『精霊の木』でデビュー。著書に野間児童文芸新人賞、産経児童出版文化賞ニッポン放送賞を受賞した『精霊の守り人』をはじめとする「守り人」シリーズ、野間児童文芸賞を受賞した『狐笛のかなた』、「獣の奏者」シリーズなどがある。海外での評価も高く、2009年に英語版『精霊の守り人』で米国バチェルダー賞を受賞。14年には「小さなノーベル賞」ともいわれる国際アンデルセン賞〈作家賞〉を受賞。2015年『鹿の王』で本屋大賞、第四回日本医療小説大賞を受賞。 Amazon商品ページより引用

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