はじめに
今朝起きて、私が10代の頃を思い出していた。
30に近づいてくると、こうして昔のことを思い出すことが増えてきたように思う。
もちろん楽しい思い出もあるが、強く残っているのは嫌な思い出の方が多い。
けれど嫌な経験の数々は、今になってこうして振り返ってみると意外と嫌なモノじゃないことに気づく。
時が過ぎればみんなよい思い出・・・なんて誰がいった嘘だろアホかなんて思っていたが、意外と嘘でもないらしいことは最近実感したことの1つだ。
10代の頃の私は、平凡な自分の人生がとにかく嫌だった。
友達も多くない。勉強もこれといって得意な科目もない。部活動も積極的なわけじゃない。何もない。つまらない人生。
そんな風に思っていたからか、週刊少年ジャンプの漫画や、学校の図書室で借りた『ハリーポッター』『ダレン・シャン』『ナルニア国物語』などといった小説を読むことに熱中していた。『ファイナルファンタジー』『ドラゴンクエスト』などのゲームも好きだった。
空想やファンタジー世界への現実逃避だ。
─── ある日とつぜん魔法界からお迎えがきたり、死神の仕事に巻き込まれたり、魔王を倒せる唯一の人間になったり、こうした《大事件》が起こればいいのに!
・・・なんて割と本気で思っていた。《平凡じゃない人生》のハードルが高い10代である。
これを『中二病』と人は言う。
あと『もののけ姫』の『ヤックル』も欲しかった。
そんな私だが、確実に思っていたことがある。
それは、日本中の10代の中で私が平凡でつまらない1番の人間だということだ。
関わった同年代の他の子たちは、何だかんだ得意なことがあったり、個性的だったり、とにかく私にはキラキラして見えていた。それに比べて私には何もないように思えて仕方がなかった。
人に相談するような重たい悩みでもなかったが、心の中ではそう思い続けながら、退屈な毎日を過ごしていた。
30歳も目前になってようやく当時の自分にかけられる言葉が浮かんだので、これから2つのことを伝えたいと思う。
もしも君が同じことでもやもやした日々を過ごしているなら、参考にしてほしい。
念のため先に言っておくと、魔法界へ行く方法だとかの話ではないので、そういうのは期待しないでほしい。
いたって”平凡”な30も手前な人間の、感じたことをつづっただけである。
人生が平凡でつまらない時に伝えたい2つのこと
平凡だと思っているのは自分だけ
30年間ほど生きてくると、色々な人と関わる。
私は人と話すことがあまり得意ではないし、休日は部屋に引きこもってゲームや本を読むことが多いので、他人との接点は多くの人よりも少ないと自覚している。
大学生時代の友人に「あなたはもうちょっと人と関わるようにしたほうが良い」と小言を頂いたこともあるくらいだ。
それでも、学校、会社での半強制的な生活を通して何千、何万という人と出会い、時には(嫌でも)お互いの記憶に残るほどの関係になることもある。
そうして日々を送ること、30年。ふと気がついたことがある。
私が出会い、会話し、触れ合ってきた人たちに平凡だと思える人間なんて1人もいなかったことである。
(もちろん、ここでいう”私が話してきた人たち”というのは、世間的に普通の学生や会社員で、ごく一般的な人たちのことなので誤解しないでほしい。)
これは、おかしい。
もう一度、言葉の意味を調べてみる。
平凡:デジタル大辞泉 – 平凡の用語解説 – [名・形動]これといったすぐれた特色もなく、ごくあたりまえなこと。また、そのさま。
ごくあたりまえなこと。
─── 真面目にサラリーマンをしている30代の親戚のおじちゃんは、思春期の女子中学生(私のことである)の部屋に突然朝5時に入ってきて「今から釣りいくぞ」と起こしてきた。(釣りには行った)
─── 日本に300万人ほどいる40代既婚女性の1人である彼女は、お通じが良かった日にはスマホのカレンダーにとびきり可愛いスタンプをつけるらしい。(キラキラした)
─── 2,000人余りいた新大学生の中の1人である彼は、なぜかいつも懐にしゃもじを隠し持っていた。(邪魔じゃないだろうか)
─── 私と同じ歳のちょっとマイナス思考な女の子は「自分には趣味も何もないんです」と良く嘆いていたが、30kgものダイエットを成し遂げ、休日には毎回友達と遊びにでかけているらしい。(十分にすごいと思うんだが)
すれ違い、一言二言交わすだけであれば、彼らは記憶にも残らない、見た目や肩書はいたって平凡な人達であることは間違いない。
でも当人の性格や人格にちょっと触れてみると、誰もかれも変人である。
ここで紹介した4人だけではない。
私が出会ったすべての人のことを、私にはとても”平凡”の一言で表現できないのだ。
それなのに、彼らはみんながみんな(私も含めて)、自分は普通の、とか、平凡な、とか言うのである。
思うに、平凡な人間というのは存在しないのだ。
当人とってはごく自然なことで、ありふれたことのつもりであるので、
外側から見ている人間から見れば、それが素晴らしく羨ましく思うことだということに気がついていないだけなのだ。
親や、近しい友人がいれば、聞いてみるといい。
「私の面白いところ、変わってるところってどんなところだと思う」と。
すぐに答えてくれるだろう。自分では考えもしていなかった視点で言葉をくれるだろう。
人と話すのが好きではない私が言うのもおかしな話なのだが、人と関わることが素晴らしいことだという本質は、こういう所にあるのだと思う。
他人を通して、初めて、思ってもみなかった自分と出会うことができるのだ。
もしも答えがなかったら、それは恥ずかしがっているか、変人すぎる君のことをまだ理解できていないだけだ。
じきに理解できる人が現れるので、気長に待つといい。人生は長い。
少なくとも、君のことを平凡だと思わない人間がここに1人いることを知っておいてほしい。
このつまらないブログをここまで真面目に読んでくれているのだから、間違いなく君は変人である。
平凡だということは、多くの人の気持ちがわかるという事
人類はみな変人ということは分かりました!
でも、それってある1部分だけでしょ?
大体の部分で人と同じなのが嫌なんです!
という君に言いたい。
知識が平凡である君は、
味覚や視覚が平凡である君は、
流行やトレンドに平凡である君は、
道徳心が平凡である君は、
世界人口75億人の大多数の人と同じ気持ちになれるという事だ。
これは、生きていく上ですごく有利なことだとは思わないだろうか。
君は、人々に分かりやすく物事を伝えられる。
君は、食べるもの、目にするもの、素晴らしいものを多くの人に届けられる。
君は、人に好かれる、受け入れてもらえるものを作り出せる。
君は、多くの人の共感を手にすることができる。
ごく平凡な感性を持った、けれどただ唯一の変人である君は、もはや最強の人間ではないだろうか。
“平凡”に生まれた君は、本当に幸運な人だ。
最後に
10代の頃の私は、平凡というものに嫌気がさしていた。
30代になろうとしている私は、平凡という特権を満喫している。
どうか、「この先もきっとつまらないばかりの人生だ」と絶望しないでほしい。
君の人生は、幸運と希望に満ちている。
平凡な自分の人生がつまらないと思っている君にとって、良い影響があれば嬉しい。
それと、最後まで読んでくれた君にアドバイス。
恐らく、君はかなり真面目で、いろいろ考えすぎだろうから、もう少し気を抜いていいと思う。
人生はテキトウに生きるくらいが、多分ちょうどいい。楽しんでいこうね。
終わり。